琉球通史 003
沖縄本島で見つかった港川人(みなとがわじん)の歯には、表面が大きくすり減ったものがあります。人骨は、どのような体つきだったかだけでなく、生きている間に体が受けた負担も考える手がかりになります。
島で生きていくには、海を渡る力だけでなく、食料を得て、道具をつくる力も必要でした。港川人が生きた約2万年前を中心に、沖縄本島南部に残された証拠から、人々の暮らしをたどります。
約2万年前、港川人が生きた島
琉球列島では、約3万5千〜3万年前から人々の痕跡が見つかっています。港川人は、それより後の約2万年前、沖縄本島で暮らしていた人々です。
現在の八重瀬町(やえせちょう)にある石灰岩の割れ目から、大山盛保(おおやませいほ)が1970年にまとまった人骨を発見しました。頭だけでなく手足や胴体の骨も残っていたため、当時の人々の体を詳しく調べられるようになりました。
当時は、最終氷期(さいしゅうひょうき)という、世界的に寒い時代でした。「氷河期」とも呼ばれる時代ですが、沖縄が氷で覆われていたという意味ではありません。約2万年前は、北アメリカやヨーロッパ北部などで、氷が特に大きく広がっていたころです。
陸に大量の水が氷として蓄えられたため、海面は現在より100メートル以上も低くなっていました。浅い海底が陸になり、沖縄本島は今より広がっていましたが、大陸からは海で隔てられていました。人々は、その島で得られる食料や材料を使って暮らしていたのです。

骨と歯に残る、体の特徴と負担
比較的よく骨が残った港川1号は、成人の男性です。身長は150センチメートル台と推定され、肩幅が狭く、手足は細めである一方、腰を支える骨盤は頑丈だったと報告されています。
この男性の歯には、歯ぐきから出ている部分の3分の2以上がすり減ったものもありました。生える時期の異なる奥歯の摩耗を比べた研究では、若いころから速いペースですり減っていたと考えられています。かみごたえのある食べ物を多く食べていた可能性があり、食べることに伴う歯への負担がうかがえます。

すねの骨をX線で調べると、内部に何本もの横線も見つかりました。「ハリス線」と呼ばれるもので、成長期の栄養不足や病気と結びつけられてきた痕跡です。沖縄県の解説も、こうした線や歯の摩耗を、当時の生活の厳しさを考える手がかりとして紹介しています。
ただし、港川人のハリス線ができた原因は確定していません。歯の摩耗も食料不足を直接示すものではなく、これらを、そのまま「いつも飢えていた証拠」とすることはできません。
人骨だけでは、何をどのように食べていたのかまでは分かりません。その暮らしを考えるには、同じ時代に残された食べ物や道具の跡も大切です。
川の食べ物と、貝からつくる道具
そうした手がかりが残るのが、現在の南城市(なんじょうし)にあるサキタリ洞(どう)遺跡です。近くには雄樋川(ゆうひがわ)が流れ、氷期の最盛期には海岸から約5キロメートル内陸に位置していたと考えられています。港川人と同じ集団が使ったとまでは分かりませんが、近い時代にこの地域で営まれた暮らしを知ることができます。
約2万3千〜2万年前の地層には、炭とともに、川にすむモクズガニのはさみや、カワニナという巻き貝の殻が大量に残っていました。人々が食べた跡と考えられています。海に囲まれた島でも、食料を得る場所は海だけではなかったのです。
カニや貝の分析から、これらが主に秋に利用されていたことも分かってきました。食料を得るには、どこに何がいるかだけでなく、とれる季節を知ることも大切だったと考えられます。

川の生き物を食べる一方、海の貝は道具の材料になりました。約2万3千年前の地層からは、巻き貝の殻を削り、磨いてつくった釣り針が見つかっています。手に入る材料を、そのまま使うだけでなく、魚をとるための形へ加工していたのです。
二枚貝の殻を割って刃をつくった道具もあります。刃に残る細かな傷やつやを調べると、一部は木や竹を削るために使われたと考えられます。木そのものが失われても、それを加工した貝の道具に作業の跡が残ることがあります。石の道具が少ないからといって、使える道具や技術が少なかったとは限らないのです。
貝は、食べ物を得る道具だけではありませんでした。穴を開けた貝や、筒状の殻をもつツノガイは、身につける飾りにしたと考えられています。実用品とともに、体を飾る品もつくられていたのです。
これらは、沖縄本島南部の限られた場所から見えてきた暮らしです。ほかの季節の過ごし方や、ほかの島での生活まで、同じだったとは言えません。それでも、食べ物のとれる時期を選び、身近な材料を道具や飾りへと変える営みがありました。海を越えて島に着くだけでなく、そこで得られるものを知り、使いこなすことが、人々の暮らしを支えていたのです。
主な参考資料
- Suzuki, H. & Hanihara, K. (eds.)(1982)The Minatogawa Man: The Upper Pleistocene Man from the Island of Okinawa. The University Museum, The University of Tokyo, Bulletin No. 19。第3章「Dentition of the Minatogawa Man」(Hanihara, K. & Ueda, H.)、第4章「Postcranial Skeleton of the Minatogawa Man」(Baba, H. & Endo, B.)を参照。東京大学公開版
- 山崎真治(2012)「発見への情熱」沖縄県立博物館・美術館。資料
- 沖縄県(羽方誠、2015)「旧石器時代の沖縄」。資料
- Clark, P. U. et al.(2009)“The last glacial maximum.” Science, 325, 710–714。米国地質調査所掲載の要旨を参照。資料
- Fujita, M. et al.(2016)“Advanced maritime adaptation in the western Pacific coastal region extends back to 35,000–30,000 years before present.” Proceedings of the National Academy of Sciences, 113(40), 11184–11189。論文
- 山崎真治「サキタリ洞遺跡」日本旧石器学会。資料
- 山崎真治(2016)「博物館特別展『港川人の時代とその後-琉球弧をめぐる人類史の起源と展開』にむけて(3)」沖縄県立博物館・美術館。資料
