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琉球列島はどのようにできたか|地形からたどる沖縄の歴史

沖縄の歴史は、王や英雄の物語から語り始められることが多くあります。

しかし、その舞台となった島々の成り立ちを知ると、歴史の見え方は変わってきます。人々が湧き水のそばに集落をつくったこと、洞窟(ガマ)に身を寄せたこと、島ごとに暮らし方が違ったこと、島と島の間の海を越えて人や物が行き来したこと。これらはいずれも、島々をつくる岩や地層、そして島を囲む海と深く結びついています。

この記事では、人が登場するよりもはるか前にさかのぼり、琉球列島(りゅうきゅうれっとう)がどのようにできたのかをたどります。

目次

琉球列島はどこにあるのか

まず、この記事で取り上げる島々がどこにあるのかを確かめます。

地図を広げると、九州の南から台湾の近くまで、点を並べたように島々が続いているのが分かります。この島々の連なりを琉球列島と呼びます。北の端から南の端までは、約1,200キロメートルあります。

九州の南から台湾の近くまで続く琉球列島を描いたイラスト

琉球列島には、奄美大島(あまみおおしま)や徳之島(とくのしま)などの奄美の島々、沖縄島とそのまわりの島々、宮古島などの宮古の島々、石垣島や西表島(いりおもてじま)などの八重山(やえやま)の島々が含まれます。

このうち奄美の島々は鹿児島県に属しています。琉球列島は、現在の沖縄県よりも広い範囲に広がっているのです。

島々は、同じ間隔で並んでいるわけではありません。沖縄島と宮古島は約290キロメートル離れていて、その間の大部分には、島のない広い海が続いています。この広い海は、のちの歴史にも大きな意味をもつことになります。

プレートの動きが島々の土台をつくった

島々の土台がどのようにしてできたのかを、地球の表面の動きから見ていきます。

地球の表面は、厚い岩の板が何枚も組み合わさってできています。この岩の板をプレートと呼びます。プレートは、1年に数センチメートルほどの速さで、少しずつ動いています。

琉球列島の太平洋側の海の底では、海側のプレートが、大陸側のプレートの下へもぐりこんでいます。その境目には、深い溝のような海の谷が、列島に沿って長く続いています。

プレートがもぐりこむとき、海の底にたまっていた土砂や岩の一部は、はぎ取られて陸側へ押しつけられ、積み重なっていきます。琉球列島の土台は、こうした動きが長い時間くり返されるなかで、海の底からつくられてきたと考えられています。

プレートがもぐり込み、海底の土砂や岩が陸側へ積み重なる様子を描いたイラスト

一方、列島の大陸側の海の底では、地面が引き伸ばされて落ちくぼみ、細長く深い海ができました。これを沖縄トラフといいます。沖縄トラフが広がるにつれて、琉球列島は、大陸から海で隔てられた島々の連なりになっていきました。

沖縄トラフは、百万年をこえる長い時間をかけて広がってきました。いつ広がり始めたのかについては研究者の間で見解が分かれていますが、その動きは今も続いていると考えられています。

山がちな島と平らな島はどうして生まれたのか

琉球列島には、山がちな島と平らな島があります。その違いがどうして生まれたのかを見ていきます。

沖縄島の北部(やんばる)や奄美大島、石垣島の北部、西表島などには、森におおわれた山が連なり、川が流れています。こうした山がちな島や地域の土台は、古い時代にできたかたい岩です。

沖縄島の北部や奄美大島、石垣島には、恐竜が生きていた時代にまでさかのぼる岩も見られます。

一方、沖縄島の中部や南部、宮古島などには、高い山の少ないなだらかな土地が広がっています。こうした土地の多くは、昔のサンゴ礁からできています。

浅い海で育ったサンゴや貝の殻が長い年月をかけて積み重なって岩となり、その海の底がもち上がって陸になったのです。この岩を琉球石灰岩(りゅうきゅうせっかいがん)と呼びます。

サンゴや貝の殻が積み重なり、琉球石灰岩となって陸へもち上がる様子を描いたイラスト

沖縄県では、面積のおよそ3分の1を、琉球石灰岩からなる平らな土地が占めています。山のある島と、石灰岩の台地からなる平らな島。この違いは、「高い島」「低い島」と表されることもあります。

平らな島では、降った雨が川になりにくく、その多くは石灰岩のすき間から地下へしみこんでいきます。沖縄島の南部などでは、石灰岩の下に、泥が固まってできた水を通しにくい地層があります。

島尻層群(しまじりそうぐん)と呼ばれるこの地層まで届いた水は、その上を横へと流れ、崖のふもとなどで湧き水となって地上に現れます。沖縄では、こうした水場をカーやガーと呼んできました。

石灰岩には、雨水に少しずつとける性質があります。長い年月のうちに、地下では岩がとけてすき間が広がり、人が入れるほどの大きな洞窟になることがあります。沖縄でガマと呼ばれる洞窟の多くは、こうしてできました。

海とサンゴ礁が今の島の姿をつくった

島のまわりの海と、島を取り巻くサンゴ礁が、どのようにして今の姿になったのかを見ていきます。

今から2万年ほど前、地球は今よりずっと寒い時代にありました。陸の上に大量の氷ができたため、海の水が減り、海面は今より100メートルほど低くなりました。そのころの島は今より大きく、となりの島とつながっていた所もあったと考えられています。

それでも、島々の間には、海面が下がっても干上がらないほど深い海がありました。琉球列島が大陸や台湾と陸続きになった時期があったのかについては、研究者の間で見解が分かれています。ただ、少なくとも沖縄島は、人が初めてやって来たころには海で隔てられていたとする見方が有力です。

とくに沖縄島と宮古島の間の広く深い海は、奄美・沖縄の島々と、宮古・八重山の島々を長く隔ててきました。この海の隔たりは、二つの地域で、すむ生き物や、のちの人々の文化に違いが生まれた背景の一つとなりました。

沖縄島と宮古島の間に広がる大きな海の隔たりを描いたイラスト

その後、氷がとけるにつれて、海面は少しずつ上がりました。約1万年前以降、島のまわりの浅い海ではサンゴが育ち、サンゴ礁がつくられていきました。サンゴ礁が育ち始めた時期は場所によって異なりますが、数千年をかけて、今のような姿になっていきました。

サンゴ礁の内側には、波の静かな浅い海が広がっています。沖縄ではこの海をイノーと呼びます。潮が引けば歩いて貝や魚をとることのできるイノーは、のちにこの島々で暮らす人々にとって、大切な食料の場となりました。

島の成り立ちは、その後の歴史に何を残したか

最後に、ここまで見てきた島の成り立ちが、人々の歴史にとって何を意味したのかを考えます。

平らな石灰岩の島や地域では、川が少ないかわりに湧き水が大切な水源となり、多くの集落がその近くにつくられました。一方、山がちな島では、森と川が人々の暮らしを支えました。

島をつくる岩の違いは、その上にできる土の違いにもつながります。土の違いは、どのような作物を育てるかといった、のちの農業のあり方にも影響を与えました。

石灰岩がつくったガマは、時代によってさまざまな意味をもちました。暮らしの場や死者を葬る場となり、祈りの場ともなり、戦争のときには人々が身を寄せる避難場所ともなりました。

琉球石灰岩にできたガマを描いたイラスト

島々を隔てる海は、人や物の行き来をさまたげる壁でした。同時に、舟で渡る人々にとっては、島と島を結ぶ道でもありました。

琉球列島の歴史は、プレートの動き、海の底からもち上がって陸になったサンゴ礁、そして海面の上がり下がりがつくり出した島々の上で営まれてきました。島の成り立ちを知ることは、沖縄の歴史を理解するための入口でもあるのです。

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